今はもう死語になったでしょうか? 自分がそれだけ年齢を重ねて立場が変わったために聞こえなくなったのでしょうか?
あの頃の自分と同じ年頃の人たちも、「近頃の若い者は」というダメ出しの言葉に悩まされているのだろうかと思うことがあります。
カテゴリー: ほかにもこんな事
余命宣告のあと、命をどう続けることができただろう
今からおよそ2年前の2017年10月、腎臓の機能が低下からこのまま何もしなければ… という余命宣告を受けた義母。
私にとっては二度目となる余命宣告。
義理とは言え、私たちは何か助けになることはできないものかと考えながら、余命の限界を超えて6か月がたっています。
インフォームド・コンセントの意味を考えよう
今からおよそ14年前に言われていたインフォームド・コンセントはどんなものだったでしょう。その当時は、私自身も私の家族や両親も健康に過ごしており、インフォームド・コンセントという言葉があることを知っていても、その意味を深く学ばなければと思い至ることはありませんでした。
もっと読む終活をはじめるとしたらいつだろう?
つい最近、寿命に関するアンケートの記事がインターネットに公開されているのを読みました。その中で「寿命を迎えるまでに必ずやりたいこと」として、40代から50代の人たちの多くが「身辺整理」を挙げているということが書かれていました。
もっと読む『おらおらでひとりいぐも』- 誰のために歩いていくのか
主人公の桃子さんのひとつひとつのエピソードが、読むほどに最晩年の母の暮らし方や、母が言葉にしていなかったのじゃないかなという思いに重なるような気がしながら読んだ本 - それが
若竹 千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞」です。
自分の命を自分で考え、自分の健康を自分で守るために - 『「いのち」が喜ぶ生き方』
「不都合なときに適切な助言・助力をしてくれる助言者」と「自分で考え行動する患者」は同じ目線の関係なのだなと感じますが・・・
もっと読む自分の体の声を聞いて、大事にしなくちゃ
もう3年も前のことになるのですが…喉が少しいがらっぽいかな? と思うようになったのは7月12日あるいは13日。その後朝起きて、喉が腫れているのじゃないのかなという痛みがあって、目覚めにもいつものすっきり感がないのを感じて体温を測ってみると36.8度という微妙な値。それが7月19日のこと。
もっと読むどんな患者なら医療をうまく利用できるだろう?
体調というもの自体を意識する必要がないとすれば、それは健康であることの裏返し。ただ、そんな健康なときにこそ、医療ってどんなものだったか、医療を上手に利用するには何が必要だったかを確認しておきたい - そんな気がしています。
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