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2017夏・文芸春秋SPECIALとして発行された書籍。
脳にまつわるあれこれを専門家の方たちが、それこそ様々な切り口から語った記事をまとめたものをとても興味深く読んでいます。

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出典:文芸春秋SPECIAL/2017夏

これまでは、どこかで聞いたことがあるけれど理解できているようないないような・分かっているようないないような、そんな知識の一部に過ぎなかった「我思う。ゆえに我あり」(デカルト)を現代の脳科学から語るとこうなるんだなと思わせるのが、巻頭特集として記載されている橘玲さんの『言ってはいけない新幸福論』。

「人間観のコペルニクス的転回」という言葉も使われているくらいですから、よくよく頭を柔らかくして読み進めないと頭の中がこんがらがってしまいそうですが…^^;
科学的に確認されてきた事実のいちばん新しい情報に基づくものだと思いながら読んでみると考えさせられることが多いのも事実です。

あなたはなぜ笑っているのか。それは、うれしいことがあったから。なぜ泣いているのか。悲しいことがあったから。当たり前の話だと思うだろうが、じつはこれは錯覚だ。うれしいと感じるのはあなたが笑っているからで、悲しいのは涙を流していることに気づいたからなの だ……。そんなバカな、と思うかもしれない。しかしこの奇妙な因果関係の逆転は、脳科学のさまざまな実験によって繰り返し証明されている。

(中略)

私たちはこれまで、「うれしいから笑い、悲しいから泣く」という〝 天動説〟の世界を生きていた。だが現代の脳科学は、「笑ったからうれしく、涙が出たから悲しい」という〝 地動説〟こそが真理だという。これが「人間観のコペルニクス的転回」 だ。

出典:文藝春秋SPECIAL 2017年夏号[雑誌]

橘氏の話しは、さらに私たちが認識している世界の本来の姿? を語る無意識の説明へと進んでいきます。

世界が先にあって、私たちはその世界を認知・認識しているという感覚は逆で、実は私たち自身が意識できない、無意識のうちに捉えている世界が先にあるという意味合いの説明です。

さまざまな感覚器官を通じて脳に入力された大量の情報のほとんどは、無意識で処理されている。意識の役割は脳の活動のごくわずかだ。どれほど注意を集中しても、サッカード(眼球の細かな運動)を意識することはできない。これは、意識が無意識にアクセスできないからだ。「わたし」とは無意識のことであり、「私=意識」にはそれがどのようなものなのか知る術はないのだ。

さらに橘氏は
幸福という感覚は脳が生み出しているのだと語り、幸福は遺伝するものだと語っています。

 

20代という若い時代を私はゴルフ場のコース管理という仕事をしながら過ごしました。

自然相手、それも毎日、ひとときひとときを空の下、風や雨の中で過ごしていたその頃の感覚はまさに、まず世界(自然)がある というものでした。その世界をどれくらい正確に、あるがままに受け止めることができるだろうと感じていることが多かったことを覚えています。

夏の炎熱・冬の極寒、春の柔らかさや秋のさみしさが先にあって、その中の自分を正しく認識したいという感覚があったのです。

ただ、思い出してみれば、緑一色の中で赤色のフラッグを正確に(みんなと同じように)認識できない - 赤緑色盲 - 伯父とラウンドしたこともありました。そのとき、世界が違って見えているのだなと感じたこともありました。

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その時のことを思い出せば、目に見えるもの・自分が認知・認識しているものがすべてではないという感覚を想像することはできそうな気もします。

 

自分たちの脳の働きの不思議。そして自分が抱いている意識の不思議を感じることが、私には自分を知ることのひとつの道のような気がしているのです。

無意識が捉えている世界が先にある… その論理と幸福論がどんなふうにつながっていくのか、橘氏の語る世界をみなさんも是非、ご自身の目と感覚で感じてみませんか?