ドラッカーと私たちの間に残念な溝はなかったか

サラリーマンがドラッカーに学ぼうと思うとき

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会社の構成メンバー - 社員 - として、マネージメントって何だろう・何が分かっていなければいけないのだろう、何が分かっていれば会社の営業活動に貢献ができるだろう - そんな発想から自分を学習させる情報が得られるのじゃないだろうかと思って選んだ

そもそも、マネージメントに対する仕事仲間や自分の考え方、発想を客観的に評価できる視点を持ちたいというのがドラッカーを選んだ動機。

ただ、ドラッカー氏の理論を正確に理解したいと思えば、学術的に正確に解釈することは欠かせない!? ということになるのかも知れません。もしそうだとすると、マネージメントに関して言えばたたき上げ、経済学も経営学も一般教養レベル? に過ぎない私には、ハードルが高すぎる!! ということになってしまうのですが、それならそれで、自分自身のブラッシュアップに役立てることができればと思うのですが…

 

「現代の経営」の理論は古すぎる!??

それでも、「現代の経営」を読み始めてすぐに感じるのは、畏れ多いことに^^; -
経済理論とか経営理論として読むべき著書で、マネージメントを学びたければ別の著書を頼るべきなのだろうか? そうでないとしても… 発表された年代を思えば、もう今の時代との間にずれが大きくなっている古い理論なのだろうか?? という違和感です。

私が「目標管理」に出会ったのはこの著書が発表された時代からカウントすると30年以上の時間がたっていたことになります。その目標管理という考え方やシステムの現状を知ることも大事なんだろうなとは思うのですが、それにしてもその目標管理を提唱し、マネージメントのブームに火とつけた言われる著書にもう少し、私が知らない、経験しきれていない・理解できていない目標管理を分かっておきたいような気もするのです。

自分の死角をなくす… という意味で。

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(c) Can Stock Photo / ivelinradkov

ドラッカーをしっかり理解していたのだろうか?

私が感じた違和感というのは、理論の早い段階で感じます。

「経営者の役割」という章にこんなことが語られています。

すなわち経営者は、経済資源を体系的に組織することによって、人類の生活水準を向上させることができるという信念にもとづいて誕生したものである。また経営者の出現は、経済的な変化が人類の福祉と社会正義を達成する強力な原動力となりうるという信念にも由来している。

ドラッカー氏はこの言葉で何を伝えようとしたのでしょう?
少なくとも、この言葉を語ったあとの章「経営者の職務」で語られていることとまっすぐにはつながらい… と感じるのです。

曰く、

経営者は、どんな決定、どんな行動に際しても、事業の経済的な成果を達成することによって、はじめてその存在と権威とを認められるのである。事業活動には、従業員の幸福、社会の福祉、文化への貢献といった非経済的な成果ももちろんある。しかしながら、事業が経済的成果を達成しえないならば、それは経営者にとって致命的なことである。

ここで言っている「非経済的」というのはどういう意味で言っているのでしょう?

経営者というのは、「人類の福祉と社会正義を達成する」ために「経済的な変化」をもたらすという社会的な要請から生まれたのだと語りながら、「従業員の幸福、社会の福祉、文化への貢献」は「非経済的な成果」だと言っています。

たとえば -

  1. 経営者が目指す事業は、雇う従業員を通して(あるいは従業員とともに)実現される
  2. その事業の成否は「経済的成果」 - つまり、企業へのお金の流れで評価される
  3. 企業を人の体、お金を血液にたとえるなら、その血液が流れ続けなければ企業は生きつづけられない。

と理解すれば、「事業が経済的成果を達成しえないならば、それは経営者にとって致命的なこと」だということも理解ができます。

ところが、3. の企業の血液と言えるお金を循環させるのは、企業が提供する製品やサービスを利用 - 消費 - するクライント・顧客であって、企業自身ではない。つまり、

  1. 「従業員の幸福、社会の福祉、文化への貢献」という成果が消費のエネルギーになる??

のではないのかな? と感じます。

だから、「従業員の幸福、社会の福祉、文化への貢献」は「非経済的な成果」ではなく、あえて識別することが必要なら、間接的な経済効果という方が適切ではないのかな? と思うのです。

それでも、

  • 目指す理論はいかに収益をあげるか
    ということでもなければ
  • 収益をあげるために経営者が行うべきこと

ではない。だから、経営者は「非経済的な成果」はともあれ、「経済的成果を達成」することに徹しなければならないとすれば、その「経済的成果」自体を理解するところまで、理解・解釈を交代させなくてはいけないということになりそうです。

ドラッカーの理論から逸脱していなかったか

なぜ、こんなことにこだわっているのか -
私はドラッカー信奉者ではありませんが、これまでの私たちは生半可にドラッカーの理論をベースにした企業活動・経済活動を良しとしてきたのではなかったのか?? そんな疑問を感じているからです。

 

50年以上前の理論が生きている、あるいはその資産が引き継がれている - そう感じるのです。
もう一度あの一節を確認してみましょう。

経営者は、どんな決定、どんな行動に際しても、事業の経済的な成果を達成することによって、はじめてその存在と権威とを認められるのである。(中略)

しかしながら、事業が経済的成果を達成しえないならば、それは経営者にとって致命的なことである。

ドラッカーが語る「経済的成果を達成」するということが、収益をあげる・あげつづける ということなのかどうかは注意して確認していかなくてはなりません。それでも、私たちの多くは、そういうステレオタイプ的な解釈でこうした一節を利用してきたのではないのか? と感じます。

収益を上げ続けることが経営者のするべきことだ - 社会的な責任とかその一旦としてのコンプライアンスに重きを置くというのは一時の流行りに過ぎなかった。収益をあげるという最終任務を達成するための方便としてコンプライアンスということを言ってみただけで、その縛りが苦しくなれば脱ぎ捨てればいい。

だから品質の詐称も起こる - 現場は製品を作りあげる誇りを忘れられるし、経営者は品質の管理は現場の責任・現場の仕事で経営者の仕事ではない!? というのに近い症状も、問題になったら考えればいいという姿勢になる?? - 本当のところは良くは分からないのですが、そう思わざるを得ないような残念な症状になっていないかと感じるのです。

 

ドラッカーは何を伝えようとこの著書を綴ったのか。

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もう古すぎる理論なんだとしても - そう誰かが言ったとしても - 分からないまま「ああ、そうか」と言っていてはいけない、そう感じるのです。

to be conitued …

Is it unnecessary for a salaried worker to try to learn what the management is, or is it too old to take Drucker’s “modern management” into consideration?

 

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