想像できない時間の向こう

大正7年と言えば、1918年。99年前ということは、あと1年で1世紀という遥か昔です。
それほど昔に発表された著書がきれいにカバーをかけた本として手元にあって読むことができる - もうクラシックと呼ぶのだろうなと思う作品、しかもわずか19ページという小さな作品に触れることで、今の私たち自身を確かめることができる、それがなんだか不思議です。

想像できない時間の向こう側に生きた人たちも、私たちと変わらない男性であり、女性であり、父親であり、母親であり、夫婦であった - そのことがなんだか愛おしく感じる作品です。

人として同じ、けれど時代は違う

私たちにとっては想像したり、実感を持って振り返ることができるのはせいぜい10年、20年、30年という時間に過ぎないなと感じます。けれどこの作品は1世紀近く前のもの。
ほぼ100年 - それほど昔に書かれたものというだけで、どれほど違う時代だったのかは、もう想像することがむずかしいです。それでも、

こうして若い夫婦はつぎつぎにお前たち三人の親となった。

このわずか1行の中にも、私たちの境遇とは違う結婚観、家族観があったことを感じます。世帯も住むところも別々だとしても、夫婦になる、親になるということは自分たちが望むと望まないとに関わらず、親族や社会とのさまざまな結びつき方を変えていたはずです。
私たちの両親でさえ、「結婚は家と家の問題だ」と言っていたほどですから。

けれど、親になろうとする時の思いとか、感じる苦しみや迷い、歓びを今の私たちによく似た場面で、同じように感じているのです。

だから、著者と今の私たちが言葉を交わすことができたとしたら、通じるものがたくさんあるのだろうなと感じながら、その通じるものを共有することはできるものだろうか、言葉(の意味)が通じるだろうかと思ったりもします。

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最愛の人を失っても

お前たちの母上の遺言の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。
もしこの書き物を読む時があったら、同時に母上の遺言も読んでみるがいい。母上は血の涙を泣きながら死んでもお前たちに会わない決心を翻さなかった。それは病菌をお前たちに伝えるのを恐れたばかりではない。またお前たちを見る事によって自分の心の破れるのを恐れたばかりではない。お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かねばならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過さしてもらいたい。そうお前たちの母上は書いている。

「子を思う親の心は日の光世より世を照る大きさに似て」
とも詠じている。

出典:有島武郎 著・「小さき者へ・生れ出ずる悩み (岩波文庫)」、小さき者へ から

時代が違って、親として求められるもののニュアンスは違っていたとしても、子どもたちを見つめるまなざしの意味や、最愛の人を失った悲しみの感触はきっと、少しも違わないだろうと思います。ただ、重い暗いテーマだから、今の時代に求められることは少ないだろうとも思います。

それでも…
時代を感じさせる、「古い日本語」と言ってもいい語り口だけれど、著者が歩いた時間をたどることは、もしかすると、私たち自身の時間を見直すきっかけをくれるかも知れない、支える力をくれるかも知れない - そんなことを感じます。

もしかすると、「失う」という経験がない人には理解できないものがあるかも知れない。でも、失ったことがない若い人たちにほど読んでもらえたらいいなと思う一冊です。
何より、若い・幼い子どもたちに宛てた言葉だからです。