『ブレない人は、うまくいく。』、だから勇気を持って、自分を見つめることの大切さを知ろう

迷うことは本当は大切なこと

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迷っているということは、時間をかけて自分自身と話しをしていることの証しなのだから、こんなことで迷って・・・とか、今さら迷うことではないのだけれど・・・と言わず、素朴に、率直に自分の気持ちと向き合い、言葉にしてもよいように思うのですが、それはなかなかむずかしいものですね。

そんなことを考えているときに『ブレない人は、うまくいく。 - 迷わなくなる55の方法』 という著書に出会いました。

信頼されていないのではなく、
自分が相手を、信頼していない。

と題した章にこんな一節があります。

授業は、間違える場です。
間違えることによって、成長します。

授業には、「正解」「不正解」「わからない」という3つの答えがあります。
ブレる人は、「わからない」と答えます。

「わからない」と選ぶのは、不正解をすると、先生にダメなヤツだと思われて、切られるのではないかと恐れているからです。
先生は、不正解しても切りません。

確かにそうだと思います。
確かにそうだと思う反面、本当にそうだろうか? とも思います。世の中そう単純、簡単にいかないから迷うのだろうと。

不正解を、切ることなく正解に導こうとすれば、先生は「不正解だ」ということをダイレクトには表現できなくなります。ダイレクトに「不正解だ」で済ませてしまえば、それは「切る」ことになるからです。
どこの何が間違っているから「不正解」なのかを生徒自らが理解し、「正解」にたどり着くためのリードをする - それが生徒にとって正しい勉強のあり方でしょうが、それは、「正解」をそのまま示すよりとんでもなく時間がかかることになります。

学ぶことは素敵なこと
(c) Can Stock Photo

時間がかかることが勉強するということのはずですが、実際には時間がかかることは褒められません。非効率と言われます。
時間をかけ、よくぞそこまでたどり着いたという評価に出会うことは稀なような気がするのですが、どうでしょう?

時間がかかることは、すなわち迷うことと同じだろうと思いますが、もしそうだとすれば、迷うこと=非効率と評価される恐れを感じて、迷うことを振り切ることができなくなっても無理はないのです。

学校の授業となれば、その成果の良し悪しをテストや試験の得点で評価しようとしますから、非効率は許されないことになります。

時間をかける=勉強をするといういうことは、process(経過)に意味があるのですが、勉強が大切だと分かっていても評価はresult(結果)で見られているのです。
迷いの正体がここにあるのですね。

勉強とか学ぶことはあくまでひとつの例にすぎないでしょう。
けれど、私たち読者はここで、「迷わなくなる55の方法」とまでサブタイトルして、

間違っていても、好きなほうを選ぶ。

べきなのだと語っている著者が伝えようとしてくれている意味を理解するべきなのです。

著者が伝えようとしていること - それは 「何より大切なのは、誰のためでもなく、君自身がどうしたいかだよ」ということ。著者は言葉にせず、そんなことを語りかけてくれている。私はそう思うのです。

この著書は、迷いを解説してはくれません。なぜなら、迷いの意味は読者である私たち自身にしか分からないからです。だから、55の方法ひとつひとつが明快です。こんな迷いがあるならこうしてごらん、そんな簡潔さです。

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つまり、何に・なぜ迷っているのかも、なぜ迷わない自分を目指そうとするのかも、すべて自分が決めることだと言っているのです。55の方法ひとつひとつも、受け入れるか、実行してみようとするかは読者である私たち次第です。そのことに気がつくことが迷いを整理することになるからです。

この著書を読みながら、自分の気持ちを振り返ってみると、私たちは、本当の自分の気持ち - 「どうしたいのか」 - が分かっているのだろうということに気がつきます。どうしたいのかが分かっているのにそれを実現できない - それが迷いなんだということが分かってくるのです。

何より、迷うことを恐れずにいられる - そんな自分を見つけたいものです。そんな自分はきっと、人の悩みや迷いに対しても柔らかく、優しく接することができるはずですから。

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