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私が初めて矢作さんの世界観に触れたのは「人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索-」 を通してでした。

信仰を持つ人間ではないという矢作さんが、語る世界観 - 文化や精神など私たちの日常と命をつなげて語る言葉は、私たちにひとつのヒントを与えてくれる言葉だなと感じます。

矢作さんは、『おかげさまで生きる』、『悩まない』、あるいは『魂と肉体のゆくえ』 、さらには 『人生は、約束』 などなど、いくつもの著書の中で

  • 私たちにとって世界って何だろう
  • 私たちは何のために生まれてきたのか。どう生きればいいのか
  • 私たちはどうして死ぬのか
  • この世を過ごす時間が終わったあと、私たちはどうなるのか

ということを語っていると思うのですが…
私にとっては、この著書 『見守られて生きる』 の中で語られている言葉が途切れることなく、よどみなく、真っすぐに矢作さんの世界観を伝えてくれているように感じます。

 

逆の言い方をすれば、たとえば、「私たちは何のために生まれてきたのだろう?」 - そのひとつの答えがほしいだけなのに、私たちはその答えにたどり着くために彷徨うようにできていると感じます。

生まれてきた理由・意味が分かったらどうすればいいのだろう? その疑問・問いかけは、
生まれてきた理由・意味が分からなかったならどうすればいいのだろう? という疑問・迷いと背中合わせです。

分かったとしても、分からなかったとしても、生き続けるこの命をどう使えばいいのだろう? どう生きればいいのだろう? というもうひとつの疑問が生まれます。

分かったとしても、分からなかったとしても、自分の命に限りがある(らしい)ということは理解できる。だとすれば、生まれてきた理由や意味を求める思いからも、どう生きるべきだろうかという疑問からも、さらに新しい疑問や迷いが生まれてきます。

愛、慈しみ、悲しみ、親しみ… もろさ、はかなさ、やさしさ、かたくなさ… 哀れみ、憎しみ、恋しさ、むなしさ、たのしさ…
心はひとつのはずなのに、そこで感じるものの何と多いことか。

私たちの疑問や悩み、迷いは心に原因があると言いたくなるくらい、心を通して見る世界は色が違って見えると思いませんか?

光の帯の中に置いたプリズムが私たちの心。プリズムを通って赤や青、紫や黄色と分解されて見える光が私たちを包む世界 - そんな感じがします。

私たちはプリズムを通って赤や紫に分かれてしまった光の側にいる。プリズムに近づけば、その光がもともとどんな色だったか分かるのに、赤い!、青い!、と言うだけでプリズムを通る前の自分に思いを寄せることができない、あるいは思いを寄せてみようということを考えることがない - もしかすると、そんな私たちだから、矢作さんの言葉もこれほどたくさんなのかも知れない… そんな感じがするのです。

 

どれが正しいとか、正しくないという切り口で捉えようとする考え方ほど、プリズムから遠いところを語ろうとしているのかも知れない。

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そんな感覚にたどり着くことができたのは、この著書 『見守られて生きる』 の中で語られている言葉に触れたからかも知れないとも思います。

 

私自身は見えるとか、感じる信じる、あるいは伝えるということをもう長い間求め続けているように思っています。
プリズムと光の関係は、私にとっての世界観と言えます。

矢作さんの言葉をたどるほどに、自分との違いがよく分かります。よく分かるだけに、プリズムと光のような自分の中に蓄えてきたものが見えるようになってきている… そんな気もするのです。