『小さなおうち』 - 昭和初期の記憶を追いかけて

昭和世代であればイメージできるかな?

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私は横浜育ち。家々がまだ舗装されていない道でつながっていて、夏の乾いた日には土埃に悩まされたり、雨が降れば水たまりを避けて歩いた記憶を持っていたりするのですが、そのイメージに引きずられているせいか、この物語に語られている東京の道はどんなだったろう? と思ったりします。

淡々とした語り口と丁寧な描写 - だから自然と、知らない時代の物語なのにそのときの東京の街や人々の生活の様子を想像したくなります。

年越しそばの注文は、早めにしないとなかなか持ってこないばかりか、持ってきたときにはそばが伸びていたりするから、夕御飯に間に合うように声をかけておく。
おそばをいただいたなら、おせちのお重を詰める。彩りよく、おいしく見えるように配分には気を遣う。
台所の仕事が片づいたら、最後の大掃除だ。とくにお風呂やご不浄はなどは、汚れていると福が逃げるというから丁寧にお掃除する。

旦那様のモーニングはブラシをかけて衣紋掛けに、奥様の晴れ着を乱れ箱に入れ、ぼっちゃんのセーラー襟のよそ行きも皺がつかないように小さなハンガーに吊っておく。
お元日はいつもの居間ではなくて、洋室の応接間でお屠蘇を祝われるから、テーブルセッティングも整えておく。お玄関には松の盆栽を置き、新年のお祝いにみえる方のための名刺受けがわりにお盆を置いてと、めがぐるしく働く間にも、ぼっちゃんの脚をマッサージして差し上げなければならない。

私たちの年越しと変わらないように感じるものの、台所、浴室 - それも湯船 - あるいはトイレとどれひとつとっても分かっていないものはありませんね。モーニングにかけたブラシはどんなものでしょう? プラスチックの柄とナイロン製の毛ということはないでしょうね。

奥様の晴れ着はともかく、正月に家長がモーニングを着る家柄というのも、私には想像できないレベルの高さ - 今で言うセレブ? - ですが、そうした季節や時節にふさわしいものを着るというような文化がどれくらい残っているだろうと自分の周りを見まわしてしまいます^^;

東京で最初の舗装は大正時代にさかのぼると言いますから、この物語のころの東京、それも銀座となれば、きれいに舗装された道路が足もとに伸びる、今と大きく違うことのない景色だったのかも知れません。

ボーナスまではまだ少し間がある時期だったけれど、歳末の大売り出しに戦勝セールが加わったとあって、銀座はたいへんな人出だった。
タクシーを降りると、ぼっちゃんが歓声を上げた。
銀座中のビルというビルがすっかりお化粧を済ませて、デパートの角々に大きな日章旗が下がり、屋上には「祝南京陥落、歳末大売出し」のアドバルーンがそよぎ、沿道を埋めた人も手に手に旗を持って振り仰ぐ。

(中略)

空には尾翼に紅白の布を翻す堂々たる飛行機が二十機以上も連なって飛び、「祝皇軍南京入城」の祝賀ビラを、雪のように白く降らせているのだった。

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昭和という時代がどんなふうにはじまって、どんなふうに進んでいたのか - その様子のひとつの断片を想像することもできるのでしょうか。けれど…

学童疎開の経験を持っていた母が聞かせてくれた話しは時代的な背景はほとんど同じ。けれど、林や森、川の流れでできている東北地方の里山が舞台の話しだけに、この物語に描かれている東京の風情とは、感じる色あいがまったくと言っていいほど違います。

物語のはじまりから終わりまで、ほんとうに淡々と丁寧に語られる雰囲気は、読む者の経験や年齢によってどんな色にもなってその時代、そのシーンを再現して見せてくれる - そんなことを感じさせてくれるニュートラルな描写がこの物語の一番の魅力かも知れません。

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