『明日を支配するもの』 - 私たちは今どのあたりにいるだろう?

自分たちらしさを思い出すためには

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ドラッカー氏の言葉だからビジネスの世界のことだよね? と聞きそうですが、私たちは、「ビジネスの世界では…」というただし書きを付けないと(ただし書きがついていないと)彼の言葉を素直に聞くことができなくなっている… そんな気がします。

「私は日本が終身雇用によって実現していた社会的な安定 、コミュニティ 、調和を維持しつつ 、かつ知識労働と知識労働者に必要な移動の自由を実現することを願っている 。これは 、日本の社会と 、その調和のためだけではない 。おそらくは 、日本の解決が他の国のモデルになるであろうからである 。なぜならば 、いかなる国といえども 、社会が真に機能するためには社会的な絆が不可欠だからである」

(中略)

日本びいきだから、日本のために期待をしてくれたのではありません。人と人との絆を大事にする日本の組織が世界のモデルになるから、世界のために日本に期待したのです。

出典:上田惇生 氏著・「P.F.ドラッカー 完全ブックガイド

もしかすると、今の私たち日本人の中にはここで紹介されている言葉を聞いて(読んで)、自分の価値観を押しつけられても困る! … そんな捉え方をする人もいるような気がするのですが、どうでしょう?

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(c) Can Stock Photo / kikkerdirk

私たちの精神は今、どのあたりにいるだろう

人と人の絆を大事にする日本の組織 というのはいつのころのことなのでしょうね?
紹介されているドラッカー氏の言葉、この言葉は『明日を支配するもの』という著書の中で語られています。1999年に発表された著書ですから、ざっと20年前。

1999年、特に90年代から2000年はじめのころも、経済的にずいぶん大変だったのは忘れようもない! 気がするのですが、そんな中にあっても、「世界のために」と期待されるほど私たち日本人は仲間との絆を大切に暮らせていたのかな?? と思わず振り返ってしまいますね。

組織は、もはや権力によっては成立しない。信頼によって成立する。信頼とは好き嫌いではない。信じ合うことである。そのためには、たがいに理解しなければならない。たがいの関係について、たがいに責任をもたなければならない。それは義務である。
…「明日を支配するもの」

たぶん、どの国の誰もが、そんなことはわざわざ言われるまでもないことだ!! と反発したのじゃないだろうかと思う言葉ですが、もともと表裏一体だった “わざわざ言われる” ということと “(その人の)人格を尊重する” ということを分離する… なんていうことをやってきたのが、この20年30年という時間だったようにも感じます。

もともと表裏一体だった… ということは、このドラッカー氏が書いているようなことは、20年30年前は、折に触れて先輩や年上の人たちから言われていたような記憶があるということ。「説教」という言葉もまだ生きていた頃でしたから。

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「たがいの関係について、たがいに責任を持つ」それはあたり前のこと! だった。
けれど、今の私たちの感覚はちょっと違う! と感じます。

責任は責任を取るべきものが取るもの… そんな感覚、言動がそこかしこに見られるのです。人と人の間のことだからこそ、「誰の責任なのか」と責任の所在を確かめようとする… そんな、ちょっと取り違えていないかい? と言いたくなる症状が周りにずいぶんたくさんあるように感じるのです。

それこそ私の場合は、責任の所在を再確認するような改編が続いている会社の中にいるから余計でしょうか?

 

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