『おらおらでひとりいぐも』- 誰のために歩いていくのか

ひとりということは、こういうこと

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夫の周造さんを失った桃子さんの絶望感は
「自分がいる意味はもうなくなった」と言っていた母の言葉に…

たくさんの桃子さん自身と言葉を交わしている桃子さんの様子は、たくさんの人たちが来てくれると、私たちには見えない人たちと交わしたという言葉を問わず語りにはなしてくれた母の話しに…

前に進むためには自分を確かめることが必要なんだ言っていた桃子さんの思いは
自分の安心を支えてくれる力だと言って、信仰を拠り所にしようとしていた母の暮らし方に…

ひとりになってしまったということをどう受け止めればいいのかと嘆いた桃子さんの姿は、父が、命の危険を覚悟しなければならないいう大けがをした時に、「そんな準備なんてできっこない!」と取り乱していた母の姿に…

主人公の桃子さんのひとつひとつのエピソードが、読むほどに最晩年の母の暮らし方や、母が言葉にしていなかったのじゃないかなという思いに重なるような気がしながら読んだ本 - それが
若竹 千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞」です。

ひとりになるということは、確かにこういうこと - 母を通してこんなことを感じていたなと思い出させてくれる作品です。

 

あの頃の桃子さんは自分の老いを想像したことがあっただろうか。ましてや、独り老いるなどということを一度たりとも考えたことがあっただろうか。

何も知らなかったじゃ。柔毛突起ども口々に感嘆の声を上げる。何にも、何も知らなかった。若さというのは今思えばほんとうに無知と同義だった。何もかも自分で経験して初めて分かることだった。ならば、老いることは経験することと同義だろうか。

 

この作品のそこここで、こんなとても切実で厳しさを感じる言葉に出会います。それは普段、私たちが触れずにおこうと思っている言葉そのものだと感じます。

触れずにおいておく… それでもいい。けれど、触れずにおいておくそのことには、期限があるんだよと言っているように聞こえます。どこかで、何かの形で精算するものなんだよ、と - それが
私が感じた厳しさです。

向き合い方はひとそれぞれ。だけど…

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切なさも、厳しさも、もしかすると「誰もが通る道」なのかも知れません。

だから、桃子さんが伝えてくれる切なさ、厳しさの中に、私たちもきっとひとりの意味 - 自分の生きる力 - を見つけることができるのじゃないのかなと感じます。

声を潜めて言うのだけれど、ひょっとしたら、おら死なないがもしらねというものなのだ。老いどいうのもひとつの文化でながんべか。年をとったらこうなるべき、という暗黙の了解が人を老いぼれさせるのであって、そんな外からの締め付けを気にしてどうする、そんなのを意に介さなければ、案外、おら行くどころまで行けるがもしれぬ、と考えたのだ。

もしも蓋をするようように触れずに行くとすれば、桃子さんのような心にたどり着くのに時間がかかってしまうかも知れません。けれど、「誰もが通る道」なのだとしたら、必ず自分の答えにたどり着ける…
そんな勇気も分けてもらえる - そんな気にさせてくれる作品だと思うのです。

 

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