「お腹召しませ」とは一体!!? …
どうも切腹のことを言っているらしいというのは分かるのだけれど、この言葉は女性の言葉。なぜ女性がこんなことを?? しかもこの言葉、何だか軽々しく聞こえませんか?

一体何の話しだ!? と思いながらお話しをたどってみると、世のしがらみと向き合って生きる - その勇気のお話し。浅田次郎氏一流の軽快なのりですが、考えさせられることも多いお話しです。

 

古いけれど新しいお話し

そもそも切腹という文化 - 文化という言い方が適切かどうかは分かりませんが - がどうして存在したのかさえ想像したり理解することがむずかしいと感じます。ただ、理解も想像もできないと感じながらも、切腹という言葉にはとても厳格で神聖な覚悟に裏打ちされた近寄りがたいものを感じるのですね。

ところがこの言葉 - 「お腹召しませ」 - は女性の言葉。
- と意識した途端、”男が負うべき責任に他人がとやかく口を挟んでいるのか⁈” - なんて思っている自分に気づくのですね。

もしかしたらこの感覚、今はもうなくなってしまった(なくさなくてはいけないと思われている? 古い、封建的な?)価値観が、自分の中に生きている証拠のような気もしてきますから、ちょっと注意が必要かもしませんね^^;

どんなお話しかというと…

その言葉の発端はこんな事件でした。

入婿の与十郎が家督を継ぎ、又兵衛にかわって勘定方を務めるようになったのは二年前である。願ってもない良縁であった。又兵衛は父の代からの江戸定府であるから、国元からわざわざ婿を迎えるよりも無理はない。ましてや婿の実家は御公儀小納戸役を務める旗本である。これはまさしく御大師様の功徳だと思った。
その与十郎が、あろうことか藩の公金に手を付け、知らぬ間に新吉原の女郎を身請けして蓄電した。

出典:浅田次郎氏著・「お腹召しませ (中公文庫)

そして、その出来事が火の粉となって主人公の又兵衛のところに飛んでくるのです。

いや、それこそ当時の道徳観念をたどっていくと、火の粉は主人公又兵衛のところに飛んで行くべきもの - あるいは、火の粉がどこへ飛んだとしても、又兵衛はその火の粉を消す責任を負うべきものなのかも知れません。

「よいか。おぬしの家を残す唯一の手だてだぞ。気の利いた遺書を残して、腹を切れ。あとはわしが、勇太朗の後見ということで何とかする。それでともかく家は残る。よいな、又兵衛。この一件、罪科ことごとく己が監督の不行届にて御座候。依って一命以って御殿様にお詫び奉り候。冀わくは、嫡子勇太朗をして家紋相続を成さしめ、恥を雪ぎ、恩顧に報いんことを御願い奉り候 ・・・・ と、そうようなことを綿々と書き置けば、あとはわしが泣いてやる。腹を切れ、又兵衛」

その話しを聞いていた娘と妻が口をそろえて言うセリフが 「お腹召しませ」 なのです。

そのあと、主人公に向かって発せられる周囲の言葉は 「いかにお家を守か」、そのためには又兵衛が腹を切らなくてはならないという発想で発せられるものばかり。

ところが、それではと介錯人を探してみても

「介錯をせいと言われても、あいにく俺は据物の藁苞しか斬ったためしはない。士道の誉れも糞もあるかい」
「何と申す。わしは腹を切らねばならぬのだぞ」
「それは貴公の勝手だろうよ。潔く一人腹を切れ。ひとごろしを他人に頼むとは、馬鹿かおまえ」

“士道も地に落ちた!” というセリフはこんなときに言うのでしょうね。

 

常識もしがらみも乗り越えられるのだ

お家を守るということが大事だと言う。そのために成すべきことがある。ところが、いざその成すべきことを実行しようと覚悟を決めても、お家を守れ、武士らしく振舞えと言っている周囲が実はその意味を分かっていない!? 自分がどんなふうに関わるべきかが分かっても、関わりになることはごめんだというのです。

何だかこういう話し、今の私たちの周りにもあるような気がしませんか? ^^;

私たちの世代はダメ出しで造られた道を歩いてきたようなものだと別の記事で書いたことがありましたが、私たちに向けられ、私たち自身が歯向かってきたそのダメ出しは本当は私たち自身が維持したり、作ったりしているのです。

世の常識 と呼ばれると偉く権威があるもののような気がするのですが、みんなが「是」と言っている間は常識? ところが、同じものでも見方を変えたり、みんなが「是」と言わなくなってくると しがらみ に変わってしまうものなのですね。常識の薹(とう)が立ってしまうとしがらみになる?? のかも知れませんね。

時代が変われば、守るべきものも変わる?

武士としての常識か、道徳か - ともあれ、武士としての本懐をとげることも、筋を通すこともできそうもなくなった又兵衛に向かって

「さしでがましゅうはござんすが、ひとこと言わしていただきとう存じます」

と言いながら、奉公人の久助がこんなことを言うのです。

「あの、お気を悪くなさらねえでくださいましよ。ひとつっかねえ命をてめえで捨てるってのは、ばかばかしいたァ思わねえんですかい。よしんばそうすることで誰が救われるにせよ、ばかを見るのはご本人おひとりで」

(中略)

「それとね、大旦那様。お家大切てえのはわかりやすけんど、そのお家には命があるわけじゃねえんだし、住まう人間の命あってこそのお家だと、あっしは思うんです。そう考えるてえと、正体のねえお家にふん縛られてるみなさんのほうが、了簡ちげえをしていなすって、一等てめえ勝手をなすった与十郎様は、何だかまっとうな人間みてえな気がしねえでもねえんだが」

 

又兵衛と久助、ふたりの価値観の違いはもちろんですが、「さしでがましゅうはござんすが…」 という久助の言葉にも、私たちを追い詰める日本人の習慣の厳しさのようなものが現れていますね。

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他人様の考えること、行うことにあれこれ口を差しはさまないこと! そんな暗黙の約束があるのですね。
それは裏を返せば、自分のことは自分で責任を取りなさいということにもなります。

私たち日本人の世界はべき論がいくつも重なり合うような構造になっていることが分かります。しかも、それぞれの掟? には権限の優先順位のようなものがあったりする。上から下に向かって降りてくる責任の辻褄を最終的に個人のところで合わせるように求めてくる … ダメ出し文化の正体はそんなところにありそうですね。

 

主人公の又兵衛がどんなふうに落とし前^^; をつけたのか。是非、読んで確かめてください。