私の蔵書から

私の蔵書から

隔世の感はあるけれど

素直ということが大事だとか、素直であることを求められた時代はもう過去のもの??… と思うくらい、私たちの周りから素直という言葉がなくなっていると思うのは私だけでしょうか?

そもそも、人の性格とか考え方、心情や嗜好といったものに触れること自体、避けなくてはいけないという風潮の中では、「素直じゃない」とか「素直だ」とかいうこの言葉は、息ができなくなっているのじゃないかなと感じるのです。

素直という言葉自体が悪いわけではなくて、何を言うためにその「素直」という言葉を使っているのかを、瞬時に感じ取ろうとするくらい、私たち自身の学習が進んでしまった - そんなふうに言えるような気がするのです。

端的な - 今ならあり得ない! というくらいの例がたくさんありました。

 

なまじ大学なんぞで勉強してきた人間は、言われたことを素直に飲み込むことができず、理屈をこねるから成長せん …!?

 

造園の中でも植木の移植をやろうとしているとき、私に仕事を教えようとしながら先輩が言った言葉ですが、その昔? 素直という言葉はこんなふうに使われることがありました。
今なら即、パワハラ(パワーハラスメント)に結びつけて攻撃されるのだろうなと感じます。

そういう仕事、業界だからというステレオタイプもいけません。同じようなニュアンスの素直の使い方は、頭脳労働とか言われるオフィスワークの場所にもいくらでもあるのですから。

 

素直でいるということの意味は分かるけれど

言葉を替えて言うなら、私たちの感性はそれくらい頑な(かたくな)になっているのかも知れないのです。

きょう初めてぼくの話を聞いてね、「そうかいな」と思う人は、これはこれでええわけやな。しかし「そうかいな」と思わん人もある。「何や、わかったような、わからんようなこと言いよんな」というような人は、それはまだ時間がかかるわけや。素直な心にならないといかん、とらわれて見たらいかん、虚心坦懐にものを見ないといかん。とらわれない心でものを見ると。だから、自分に都合のええようなものの見方をしたらあかんな。

そういう素直な心でものを見るという訓練はどのようにしてやるかというと、まず心で念じないといかんわけや。朝起きたら、仏さんか、仏さんのないところは屋根の方を向いて、お日さんの見えないところは山を見てもいいと。山に向かって、「きょうも一日素直な心でものを見るように、素直な心で行動するようにいたします。そのようにいたしたい」と誓うわけやな。

そして三十年やったら、素直の初段になる。素直な心の初段になれば、ものを見てもだいたいその実相がわかる。この品物はいいかとか悪いとか、これは買うたらいかんとか買うていいとか、そういうことがわかるようになる。

出典:松下幸之助氏述・「リーダーになる人に知っておいてほしいこと

松下氏が語ったこの言葉は文字通り、人の話しを聞きなさい、それが自分のためであり、すべてのはじまりなのだよと教えてくれているのですが、とかく私たちは

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  • どう聞けばいいの? とか
  • 聞いてどうなる⁈ どこで、どんなふうに役に立つ⁇

と、話しのつながりを求め、話しに効率を求めるのです。

この段階で、素直に話しを聞けなくなっているのが私たちで、
そうした話しのずれが分かったときに、素直に説明ができなくなっているのも私たちなのです。

 

さて、私たちは、松下氏の言葉を「そうかいな」と思いながら、聞く(読む)ことができるでしょうか?