『ネコになればいい。』 - 子どもを育て、子どもに育てられる。その素敵さ

今の自分は本当の自分じゃない!? と感じたとしたら

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ウチの子が生まれてから、「たいへん!」の連続だった。必死だったからこそ乗り越えられたのかもしれないが、もう1つ、「自分の心の声に耳を傾けてあげる」ことで、ある日、気が付くと私の日常は「ラク」になっていた。

(中略)

『直感』……理性を働かすというより、感覚的にただちにとらえること。
『感性』……印象を受け入れる能力。感受性。また、感覚に伴う感情。

とは言え、いろいろな場面でよろしくない事も多いようで、周りの人に叱られることもあるのだが、「直感」を信じて、「感性」で生きると、断然毎日は楽になる。周りの声に、右往左往することがなくなって、「あははっ」と笑い飛ばせるようになった気がする。そう。「ネコになればいい」。そんな感じ。

出典:キイロイ カサさん著・「ネコになればいい。: 人生は3万日の散歩道

思えば、苛立ちながら、懸命に? ダメ出しをする父にどうすれば認められるのか - 頭で理解し対応する方法を探していたから自分は大変だった - 認められたという実感を求めて右往左往していた - のかも知れない… とも感じます。

ただ、キイロイ カサさんが語る10000日以上の時間が経って、父がいなくなってしまえば、どんな自分でいれば良かったのか聞いてみるすべはありません。

「直感」を信じて、「感性」で生きると、断然毎日は楽になる。

その言葉の意味を含めて考えてみると、キイロイ カサさんの言っている「感性で生きる」というのは、「相手のあるがまま・自分のあるがままで生きる」ということのように感じます。

そして、私と私の父 - 親子 - は、どうして「相手のあるがまま・自分のあるがままで生きる」に気づくことができなかったのだろうと感じます。何をそんなに一生懸命にダメ出ししつづけていたのか。そのダメ出しの意味を理解しなければならないと信じて、自分の中の自分を打ち消して、別の自分がいるはずだ… とか、別の自分にならなくちゃ… とか感じて頑張っていたようで、我ながら可哀想だったね とも思います。

「あるがまま」という言葉さえ知らなかった!? と思うしかない、かたくなさで、目の前の自分を否定してかかっていたような気もします。なぜなんでしょうね。

少なくとも、今の私の辞書には「あるがまま」という言葉があります。
そしてその意味を理解できるようになる・自分なりの答えを持てるようになるのは、そんなに簡単なことじゃなかった… そう感じます。何となくいえることは…

「あるがまま」という感覚は、誰かと共有したいという思いを忘れたところで覚えたもののような気がします。誰かと共有したいという思い… ということは、一人でいられる思いといってもいいだろうと思います。
そして、穏やかな気持ちで自分と対面することができるようになった… そんな気がするのです。

私もきっと、「たいへん!!」と思わせる子どもだったろうなと思います。
命に関わる病気を病んだとなれば、キイロイ カサさんの話しとは違う意味での大変さだったかも知れません。

父は、自分のやりたいことを別にして、治療をつづけ、治療にかかるお金を用意する、そして、そんな生活に耐えられるように自分を支えることで精一杯だったとしても、当然のことだろうと思います。だとすれば、「あるがまま」を受け入れたくなかったとしても、無理からぬことかも知れないとも思うのです。

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父の本当の気持ちがどうだったのか、それを聞いたこともありませんし、分かりません。分からないからこそ、私は「あるがまま」という言葉を見つけたような気もします。

悩み、時には泣きながら頑張っているお母さん達へ。

「たいへん! たいへん!」と思いながら、子供と歩いてきた私の10000日は、今振り返ってみれば「まるで散歩をしてきたみたいだった」と思えるんです。2人で手をつないできれいな花を見つめたり。風を感じたり。時にはしゃがみ込んでみたり。また歩き出すと、何人もの優しい人たちと出会って、一緒に笑ったり、話をしたり、時には涙をこぼしたり……。そんな風景が浮かんでくるんです。だから、きっと大丈夫! 大丈夫です。

そんなふうに、若いおかあさんたちにエールを送るキイロイ カサさんの言葉をたどっていて思うのは、私たち男は、何か違うところで違うものにこだわっているな! という気がしてきます。

キイロイ カサさんの言葉をたよりに、本来の自分を見つけなくちゃいけないなと感じます。

 

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